チャリダー★ライターの「カクシゴト」

東京在住のライターは何を考えているのか?

桜の経済的価値なんて知らないけれど~その2~

まさか、こんな話に続きがあろうとは、誰も想像していなかったに違いない。なんせ、私だって想像していなかったのだから。

桜はいいなぁと思うのは、自然はいいなぁと思うのと同じ、というように世の中では考えられているようなのだけれど、桜を自然というのは不自然なような気がする。意志を持って植えなければ、花見の名所なんて存在するわけがないのだから。

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なんてことを書くと、「街中に一本ぽつんと立っている桜は自然だろう」とか「森にひっそりと咲く桜は自然だろう」とかいう突っ込みが聞こえてきそうだ。

でも街の一本桜なんて、それこそ木を避けて開発されたってことだろうし、今、日本に残っている森は、森を守ろうという人の意志があったから残っているのだと思う。自然災害を防ぐためとか、森の恵みを得るためとか、気持ちいいからとか、いろんな理由でね。だから森に在る桜も、人の意志の結果といっていいんじゃないかなぁ。

桜には「人の手」が加えられている。市場経済は「神の見えざる手」によって成っている。

人は経済なしでは生きていけないけれど、経済だけで生きていけるわけじゃない――というようなことを、わりとしつこく考えているのです、ワタシ。

#きょうは皇居に行ってきました。桜を見に行ったわけじゃないのですが、乾通りの一般公開で人人人の大混雑に揉まれてしまいました。年末のアメ横並み。ふぅ。

えーと、取って付けたように書きますが、今の花見は江戸時代に花の名所が人工的につくられてからのものらしいですよ。

【話の起こりはこちらです】
桜の経済的価値なんて知らないけれど~その1~