チャリダー★ライターの「カクシゴト」

東京在住の広報ライターは何を考えているのか?

日常を生き切る

あの日、荒川には誰もいなかった。

東日本大震災から二日後、福島第一原発が爆発した翌日の日曜日。あの日、私は快晴の荒川を自転車で走った。出発前、天気予報をチェックしたのは降水確率を見るためではなく、風向きを見るためだ。原発からの風は、こちらに吹いていなかった。

誰もいない荒川は、不気味だった。ウィルスミスだったか、自分以外のすべての人間が街から消え失せた、というような映画があったと思う(うろ覚えなので、全然違う俳優・内容かもいれない)。そんな映画ぐらい不気味だった。

なぜ、あのとき自転車に乗ったのか?

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それが私にとっての日常だったからだ。日常生活こそが大事。あのとき、そう思った。だからいつものように荒川を走った。ただ、それだけだ。

途中、天気雨に降られた。最初は気のせいかと思ったが、タイヤが食いつく路面にグレーの水玉が現れたのを見て、急いで近くの(といっても数キロ離れた)橋の下にダッシュで駆け込んで、雨宿りした。

少しすればやむだろうと思っていた雨は、やみそうでやまず、路面を水玉からグレー一色に染め上げてしまった。まいったな……橋の下から空を見上げてため息をついたときだった。

シャーッッッ。
一台のローディーが、猛スピードで走り抜けていった。雨を気にせず、ばーっと駆け抜けていった(もしかしたらなるべく濡れないように短時間で帰宅する戦略だったのかもしれない)。それがこの日見た、唯一のローディーだった。

後にも先にも、サイクリング中に一人しか自転車乗りを目にしなかったのは、このときだけだ。

できることは、日常

私は震災後、東北には行っていない。正確にいうと、震災前も行っていない。だからあの日の前と後で変わることなく日常として行っていない、とムリに言おうとすれば言えるが、そうではない。

復興支援を考えれば(それがボランティアだろうと、旅行で現地にお金をおとすことであろうと)行ったほうがいいんだろうなとは思う。けれど……認めよう。避けているのだ。もともと泊まりがけの旅行は好きじゃないというものあるけれど、避けているのだ。

避けるのには、訳がある。別に原発のせいじゃない。行ってしまうと、自分の日常が壊れるという確かな予感があるからだ。

自分で言うのはどうかと思うが、私は感受性が高い。繊細とも言う。webの匿名性をいいことに、いいかげんなことを書いているわけではない。震災の被害状況を目にしたら、ショックを受けて、仕事が手につかなくなる自分、というのがはっきりと想像できる。いろんなことを考えて、考えすぎて、仕事がてにつかなくなる。

いや、もしかしたらそれを超えて、現地のために何かしようと決意して、できもしないオオゴトをやろうとしてしまうかもしれない。いずれにせよ、日常を失う自分がそこにいる。それをはっきりと感じ取れる。

日常を失えば、自分もまた誰かの、何かの支援を必要とする側になる。それは、ダメだ。だから、行かないのだ。

自分にできることは、日常。そう思って、あの日、私は快晴の荒川を自転車で走った。きょうも走った。そして、ぱらぱらと降られた。天気雨じゃなかったけれど、あの日と似たような雨だった。
Ride safe and fun!

きょうも最後まで読んでくれて、ありがとうございます。そういえばあの頃、ホイール貯金をしていて、貯まっていた半分を募金したっけな。チャリ生活が日常なので、なんかそれは日常だったんだよね。